気持ちの整理
このチームとともに歩んでいく覚悟。
それが完全にできたのは“例の5人”が移籍していったとき。
ナビスコで初タイトルを取り、これからって時に、イビツァ・オシム元監督があんな形でチームをさることになり、阿部ちゃん・隊長がチームを去り、チーム成績が落ちてきて、ストヤノフが去り、やっとこさ残留して、そして‥、魔のシーズンオフを迎えた。毎日のように、恐る恐るスポーツ新聞をチェック。智・勇人・コーキ・水本・はにゅさんの移籍関連報道に一喜一憂‥。「基本は残留」とか「愛着」って言葉が出れば、残ってくれるはずだと喜ぶも、「チームに不信感」「明確なビジョンが見えない」なんて言葉が出れば憂う。
5人の移籍が決まった時、改めて考えた。このチームを応援していけるのかを‥。
主力の約半分が一気に抜ける。こんな事、普通はありえない。どれだけなチームなんだ。フロントは、何を考えているのか。その時は、“チーム”なんてものに見えない集団だった。
よく考え、覚悟を決めた。応援していこうと。ここで、他チームに乗り換えなんて無理。地元愛強いし!フロントにはかなり不信感はある。ただ、残ってくれた、来てくれた選手がいる。一緒に次のシーズンを戦いたいと思った。隊長が復帰してくれたのも、涙。日刊の記事を震えながらバイト前に読んだなぁ。
開幕戦のアウェイ・ガンバ戦。万博競技場に行き、2008シーズンの船出を見届けた。立さんのナイスセーブが連発してたような。
4月には三木社長の就任。本当にびっくりした。いきなりだったからさ。パソコンの前で騒いだ。
5月に入り、リーグ戦11試合勝ち星なしの状況。クゼ監督からミラー監督へ。
迎えた沢入監督代行でのホーム京都戦。コーへーさんのゴールで勝利。その日のすぽるとでは、特集。コーへーさんがゴールした時のナレーション「最後に詰めた エースでも代表候補でもない ユースからJEF一筋 誰よりもこのチームを愛する男」泣けた‥。
ヴェルディ・札幌に3失点で連敗した時、やばいって思った。
ただ、「2008シーズンは、何があっても応援し続ける。」そう決めていた。あんな出来事がオフにあり、ほぼ0からのスタート。支えるしかできないから。
一向に降格圏を抜け出せないなか、9/14から始まった連勝街道。ミシェウ・深井・早川さん・戸田さん・ネモやんが途中から加わってくれた。みんなそれぞれ、勝ちに貢献してくれた。ミシェウは浦和戦でのトゥーリオの下を抜いてのゴール。深井もレッズ戦での2ゴールとか、色々。早川さん、戸田さんは最終戦、スタメンで出て、戦ってくれた。早川さん、ヤザーさん(だったかな?)への右サイドからのクロス、ゴールアシスト、素晴らしかったです!戸田さん、初めは怖い人かと思ってました。赤いトサカのイメージしかなくて‥。でも、闘志むき出しのプレー好きでした。ネモやん、アウェイ札幌戦の3点目、ゴール前にボールを入れてくれた。それが、ヤザーさんの決勝ゴールへとつながった。本当に、みんなありがとう。
また、その頃からスタジアムの雰囲気も一体感がすごく出るようになった。名古屋戦の岡本セーブコールとか鳥肌が立ったぐらい。
5連勝中は、新聞・雑誌を買いあさる日々。
しかし、そのあとは「あと1勝」がなかなか奪えずにモヤモヤ‥。すべて鈍行で何時間かけ、初の日本平に行き、負けた。ただ、巻の2得点には魂がこもってた。それに、神様は、まだ、JEFを見捨ててはいなかった。1時間後に終わった鹿島対磐田戦。岩政が試合終了間際にゴール。これで、最終節まで残留の望みをつなぐ事が出来た。
最終節、磐田、ヴェルディともに負け、JEFも勝たなければ、降格。
いつもは、2階席のホーム自由で見てるけど、この日は1階席バックよりのホーム自由で観戦。
73分までは0-2の劣勢。残り16分で3点以上奪わなければいけないという、とてつもない事態になってしまった‥。はっきり言って、6割いやっ、7割は諦めてしまっていた。ただ、74分、新居のゴールが決まった時に何かが変わった。77分、谷澤のゴールで同点に追いつく。もう、立っていられなくて、目から何かがこぼれ‥(これを書いている今も目頭が熱くなっている)。妹と見てたけど、言葉にならない叫び。脚はがくがく。気づくと、スタジアムのJEFを応援する人みんなが総立ちになっていた。
っと、そろそろ行かなくては‥。帰ってからまた書こう。
続き‥
あの時のスタジアムの雰囲気は、ものすごいものだった。あれこそが、“ホーム”だったと思う。スタジアム全体に響き渡るコール。それに動揺したかのように、普段は冷静なプレーをする今ちゃんがレイナウドを挟んでしまった。PKのキッカーはレイナウド。ボールをすかさず手にし、セット。正直、「外すかも‥」って思った。いつも、決定機を決め切れていなかったイメージがあったから‥。レイナウドの蹴ったボールはゴールの中に吸い込まれていった。この試合のレイナウドは、いつもと違った。頼りがいのあるプレーの連発だった。3点目がJEFに入った事で、FC東京側も点を取りに来た。そして、最終ラインをハーフラインより上げていた。そこで、自陣でボールを奪った戸田さん→新居→ヤザーさんとパスをつなぎ、ハーフラインから、ヤザーさんが飛び出し、キーパーとの1対1。これをしっかりと決め、4点目が入った!このとき、ショーへーさん・コーへーさんは祈りのポーズしてたっけな‥笑。そのあとは、みんなで必死に守った。巻はDFラインにとどまりボールを跳ね返し、コーへーさんは胸でシュートを防いだ。そして、サポーターたちからは試合終了のホイッスルをせかす手拍子。
待ちに待った笛が吹かれた。その時選手たちは、何を思ったろう‥。自分は、ヴェルディ・磐田の試合結果を全く知らずに応援していた。多分、結果を見ないで応援していた人は多かったんじゃないかな‥。JEF自身が勝たないと、どうにもならない状況だったし。勝った‥って一呼吸整えてから、携帯でチェックしようと思ったけど、つながらない‥。すると、ビジョンにヴェルディと川崎の試合。0-2で川崎の勝利が決まった時、またスタジアムが沸いた。これで、自動降格はなくなった。試合後のヤザーさんのヒーローインタビューで、磐田が大宮に負けた事を知る。
奇跡が起きた。いや、起きたんじゃない。起こしたんだ。チームの選手・スタッフ・サポーターが一丸となっていばらの道を歩んできた。ともに歩んでいこうと‥。ぎすぎすしたものはなく、まあるい思いの塊。1年間、本当に色々あった。きつかったし、病んだし、へこんだし、ご飯がのどを通らなかった日もあった。けれど、それ以上に、チームを応援する事が楽しくて仕方なかった。社長が変わり、サポーターと向き合ったチームになっていったからだと思う。こんな奇跡を体験できたのは、一生の思い出に残るだろう。あの場所に居れた事は、宝だ。サッカーという、一スポーツで、ここまで色々な思い、体験ができた事はすごい。
とまあ、12/06は、こんな事を思いながら、湯船につかってました。スタジアムで、夜を明かしたかったなぁ‥笑。
※いつもは、選手名は名字で統一してるけど、今回はあえて、普段自分が呼んでいる表記にさせてもらいました。その方が、あったかい感じがしたから‥。
それが完全にできたのは“例の5人”が移籍していったとき。
ナビスコで初タイトルを取り、これからって時に、イビツァ・オシム元監督があんな形でチームをさることになり、阿部ちゃん・隊長がチームを去り、チーム成績が落ちてきて、ストヤノフが去り、やっとこさ残留して、そして‥、魔のシーズンオフを迎えた。毎日のように、恐る恐るスポーツ新聞をチェック。智・勇人・コーキ・水本・はにゅさんの移籍関連報道に一喜一憂‥。「基本は残留」とか「愛着」って言葉が出れば、残ってくれるはずだと喜ぶも、「チームに不信感」「明確なビジョンが見えない」なんて言葉が出れば憂う。
5人の移籍が決まった時、改めて考えた。このチームを応援していけるのかを‥。
主力の約半分が一気に抜ける。こんな事、普通はありえない。どれだけなチームなんだ。フロントは、何を考えているのか。その時は、“チーム”なんてものに見えない集団だった。
よく考え、覚悟を決めた。応援していこうと。ここで、他チームに乗り換えなんて無理。地元愛強いし!フロントにはかなり不信感はある。ただ、残ってくれた、来てくれた選手がいる。一緒に次のシーズンを戦いたいと思った。隊長が復帰してくれたのも、涙。日刊の記事を震えながらバイト前に読んだなぁ。
開幕戦のアウェイ・ガンバ戦。万博競技場に行き、2008シーズンの船出を見届けた。立さんのナイスセーブが連発してたような。
4月には三木社長の就任。本当にびっくりした。いきなりだったからさ。パソコンの前で騒いだ。
5月に入り、リーグ戦11試合勝ち星なしの状況。クゼ監督からミラー監督へ。
迎えた沢入監督代行でのホーム京都戦。コーへーさんのゴールで勝利。その日のすぽるとでは、特集。コーへーさんがゴールした時のナレーション「最後に詰めた エースでも代表候補でもない ユースからJEF一筋 誰よりもこのチームを愛する男」泣けた‥。
ヴェルディ・札幌に3失点で連敗した時、やばいって思った。
ただ、「2008シーズンは、何があっても応援し続ける。」そう決めていた。あんな出来事がオフにあり、ほぼ0からのスタート。支えるしかできないから。
一向に降格圏を抜け出せないなか、9/14から始まった連勝街道。ミシェウ・深井・早川さん・戸田さん・ネモやんが途中から加わってくれた。みんなそれぞれ、勝ちに貢献してくれた。ミシェウは浦和戦でのトゥーリオの下を抜いてのゴール。深井もレッズ戦での2ゴールとか、色々。早川さん、戸田さんは最終戦、スタメンで出て、戦ってくれた。早川さん、ヤザーさん(だったかな?)への右サイドからのクロス、ゴールアシスト、素晴らしかったです!戸田さん、初めは怖い人かと思ってました。赤いトサカのイメージしかなくて‥。でも、闘志むき出しのプレー好きでした。ネモやん、アウェイ札幌戦の3点目、ゴール前にボールを入れてくれた。それが、ヤザーさんの決勝ゴールへとつながった。本当に、みんなありがとう。
また、その頃からスタジアムの雰囲気も一体感がすごく出るようになった。名古屋戦の岡本セーブコールとか鳥肌が立ったぐらい。
5連勝中は、新聞・雑誌を買いあさる日々。
しかし、そのあとは「あと1勝」がなかなか奪えずにモヤモヤ‥。すべて鈍行で何時間かけ、初の日本平に行き、負けた。ただ、巻の2得点には魂がこもってた。それに、神様は、まだ、JEFを見捨ててはいなかった。1時間後に終わった鹿島対磐田戦。岩政が試合終了間際にゴール。これで、最終節まで残留の望みをつなぐ事が出来た。
最終節、磐田、ヴェルディともに負け、JEFも勝たなければ、降格。
いつもは、2階席のホーム自由で見てるけど、この日は1階席バックよりのホーム自由で観戦。
73分までは0-2の劣勢。残り16分で3点以上奪わなければいけないという、とてつもない事態になってしまった‥。はっきり言って、6割いやっ、7割は諦めてしまっていた。ただ、74分、新居のゴールが決まった時に何かが変わった。77分、谷澤のゴールで同点に追いつく。もう、立っていられなくて、目から何かがこぼれ‥(これを書いている今も目頭が熱くなっている)。妹と見てたけど、言葉にならない叫び。脚はがくがく。気づくと、スタジアムのJEFを応援する人みんなが総立ちになっていた。
っと、そろそろ行かなくては‥。帰ってからまた書こう。
続き‥
あの時のスタジアムの雰囲気は、ものすごいものだった。あれこそが、“ホーム”だったと思う。スタジアム全体に響き渡るコール。それに動揺したかのように、普段は冷静なプレーをする今ちゃんがレイナウドを挟んでしまった。PKのキッカーはレイナウド。ボールをすかさず手にし、セット。正直、「外すかも‥」って思った。いつも、決定機を決め切れていなかったイメージがあったから‥。レイナウドの蹴ったボールはゴールの中に吸い込まれていった。この試合のレイナウドは、いつもと違った。頼りがいのあるプレーの連発だった。3点目がJEFに入った事で、FC東京側も点を取りに来た。そして、最終ラインをハーフラインより上げていた。そこで、自陣でボールを奪った戸田さん→新居→ヤザーさんとパスをつなぎ、ハーフラインから、ヤザーさんが飛び出し、キーパーとの1対1。これをしっかりと決め、4点目が入った!このとき、ショーへーさん・コーへーさんは祈りのポーズしてたっけな‥笑。そのあとは、みんなで必死に守った。巻はDFラインにとどまりボールを跳ね返し、コーへーさんは胸でシュートを防いだ。そして、サポーターたちからは試合終了のホイッスルをせかす手拍子。
待ちに待った笛が吹かれた。その時選手たちは、何を思ったろう‥。自分は、ヴェルディ・磐田の試合結果を全く知らずに応援していた。多分、結果を見ないで応援していた人は多かったんじゃないかな‥。JEF自身が勝たないと、どうにもならない状況だったし。勝った‥って一呼吸整えてから、携帯でチェックしようと思ったけど、つながらない‥。すると、ビジョンにヴェルディと川崎の試合。0-2で川崎の勝利が決まった時、またスタジアムが沸いた。これで、自動降格はなくなった。試合後のヤザーさんのヒーローインタビューで、磐田が大宮に負けた事を知る。
奇跡が起きた。いや、起きたんじゃない。起こしたんだ。チームの選手・スタッフ・サポーターが一丸となっていばらの道を歩んできた。ともに歩んでいこうと‥。ぎすぎすしたものはなく、まあるい思いの塊。1年間、本当に色々あった。きつかったし、病んだし、へこんだし、ご飯がのどを通らなかった日もあった。けれど、それ以上に、チームを応援する事が楽しくて仕方なかった。社長が変わり、サポーターと向き合ったチームになっていったからだと思う。こんな奇跡を体験できたのは、一生の思い出に残るだろう。あの場所に居れた事は、宝だ。サッカーという、一スポーツで、ここまで色々な思い、体験ができた事はすごい。
とまあ、12/06は、こんな事を思いながら、湯船につかってました。スタジアムで、夜を明かしたかったなぁ‥笑。
※いつもは、選手名は名字で統一してるけど、今回はあえて、普段自分が呼んでいる表記にさせてもらいました。その方が、あったかい感じがしたから‥。
スポンサーサイト